古来より、日本の文化成立の背景には、主に中国、朝鮮半島など、大陸方面からの文化の流入によるものが大きく影響しているのは、衆知の事実ですが、その他にも海上ルートによる、環大平洋とのつながりも多くの研究者の指摘するところです。

 1993年に、「異端の道」と言う作品を制作する際、ロープやひもについて少々調べました。 その際、環大平洋文化に関係すると思われる、面白い事を発見しました。 沖縄の質屋などで、昭和20年頃まで使われていた、数や名前の記録法で、「ワラ算」と言うものが有ったと言うのです。 以下「ワラ算」について「法政大学出版局、額田巌 著、『ひも』」より抜粋します。

 

「五〜六世紀の日本について、『随書倭国伝』は「文字なし、ただ木を刻み、縄を結ぶのみ、仏法を敬す。百済において仏教を求得し、始めて文字有り」と伝えている。 文字がないから、木に刻んだ印や縄の結びが、伝達や記録の役割をはたしていたというのである。
 その結縄が民衆支配の具として、どのように使われたかは、記録には残されていない。 しかし沖縄には、結縄の遺風とみられる『ワラ算』という結縄があり、島津藩の支配以前から第ニ次大戦までおこなわれていた。
 そのワラ算は、文字を知らない民衆の日常取引に関するあらゆるものの数量の記録や計算に用いられたが、特に納税事務には不可欠の手段であった。」とあります。

 

石彫をしている作家の多くが、遺跡や石の文化に興味を持っているのですが、私もその一人です。この本を読んだ時に、インカの「キープ」を思い出しました。 「キープ」とは、インカの民が納税などの際に、細ひもを使って、その計算や記録を行なった、ひも状の記録メディアです。 画像を観ていただければ解るように、この二つは酷似しています。 また、その使われ方も、ほとんど一緒です。 この「ワラ算」と「キープ」について、これ以上の事は解りませんが、どなたか御存じの方がいらっしゃいましたら、メールにて御一報ください。 日本のどこかに、これに関する研究をしている方が、一人いらっしゃると聞いたことがあるのですが…。

 

  
左図/沖縄のワラ算     右図/インカのキープ

 

 この他に、環大平洋文化を示すものとして、南大平洋のバヌアツ共和国で、出土した土器が、約5000年前の日本の縄文土器であると、1996年に、ハワイ・ビショップ博物館の考古学チームによって断定されています。
http://www.asahi-net.or.jp/~NA2Y-YMMT/yomiuri814.html

また、ノルウェーの人類学者トール・ヘイエルダールが、1947年にインカ時代の模造バルサ舟で、ペルーを出発しツァモツ諸島に漂着した、コンチキ号の話も有名です。
 この他にも、環大平洋文化については、色々な考察がありますが、近年の日本の縄文研究でも言われるように、縄文人も高度な遠洋航海の技術を有していたと思われます。 古代の日本地域に住んでいた人々が、ポリネシア等の大平洋の島々を通じて、南米とも交流が有ったとしても、おかしくはないと思います。
 
 そう言えば、以前騒がれていた、沖縄の海底遺跡(らしきもの?)の その後の調査はどうなったのだろうか?

 

※追記
  リンクを張らせていただいているホームページ、『白髭?雅の喜界島散策』(05/1/14現在、アクセス不可)の新山雅美さんより、ワラ算の画像を頂いたので、追加します。 白髭?雅さんには、ワラ算の事を色々と調べて頂き、大変お世話になりました。 この場をかりてお礼致します。ありがとうございました。