近頃、世の中の仕組みが複雑化、間接化してきたと同時に、様々なものが細分化され、その全体像が見えにくくなってきたように思う。 また、社会に溢れる記録・情報も間接的なものに取って代わり、専用のハード無しでは中身を知ることすらできない。 自分達の周りから本物に直に触れる機会がどんどん失われているのではないだろうか。
 美術の分野でも、インタラクティブなバーチャル分野が新しくにぎわっている。 コンピューターゲームも相変わらず盛況のようだ。 ただ、これらのバーチャルなものには当然、実体がない。 仮想空間の利用そのものは現代の技術として有意義だが、それらの乱用、氾濫は新しい感覚や思考を生み出す反面、失うものも大きいと思う。 自分自身、生まれた時からテレビの有る世代だが、それ以前の世代のヒトと比べテレビ的な思考やその切り替えが柔軟な反面、生命としての感覚的な部分で欠けていたり、コミュニケーションの障壁があると感じている。
 彫刻・造形の分野に目を向けよう。 アカデミックな人体などの具象的彫刻を制作する場合、その量や大きさ、重さ、空間的な領域などを感覚的に把握する力が必要だ。 そのような感覚はなにも特別なものではなく、普段から一般に使われているもので、生活の中で経験によって培われていることが多い。 今の世代の若者は周囲のバーチャルな物の見方に慣れきってしまっていて、特に量感、物の実在感などに弱いように感じる。 逆に実空間ではないものを空間としてとらえる感覚は優れているのか。 時代の流れとして、バーチャルなものが増々幅広くなって行くのであろうが、その中でこのような傾向は今後も深まってゆくと思われる。 50年後のヒトの感覚がどのように変化しているのか、少々楽しみでもある。ホント、どんなだろう…。